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浜離宮恩賜庭園 2005.3 中央区 海水を引き入れた潮入の池と二つの鴨場を持つ江戸時代を代表する大名庭園 1654年、徳川将軍家の鷹狩場に四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜御殿と呼ばれる別邸を建て、綱重の子、綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に屋敷は将軍家のみのとなり、「浜御殿」と改められ、以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、11代将軍家斉の時代にほぼ現在の庭園が完成と書いてありました。なお詳細は(財)東京都公園協会を御覧下さい。 |
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旧芝離宮恩賜庭園 2005.3 港区 江戸最古の大名庭園 小石川後楽園とともに今に残る最も古い大名庭園の一つで典型的な回遊式泉水庭園、1655年頃に海面を埋め立て1678年、老中・大久保忠朝の邸地となり、忠朝は上屋敷を建てる際に藩地の小田原から庭師を呼び寄せ作庭し「楽壽園」と命名、その後、数氏を経て幕末に紀州徳川家の芝御屋敷となったと書いてありました。 |
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小石川後楽園 2005.3 文京区 水戸黄門ゆかりの大名庭園 1629年、水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷として造ったもので二代藩主の光圀の代に完成した庭園、庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭と書いてありました。 |
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六義園 2005.3 文京区 柳沢吉保の和歌の庭 五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が1702年に築園した和歌の趣味を基調とする回遊式築山泉水の大名庭園と書いてありました。 |
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旧古川庭園・日本庭園 2005.3 北区 武蔵野台地の斜面と低地を活かし北側の小高い丘に洋館を建て、斜面に洋風庭園、そして低地に日本庭園を配したのが特徴、この土地はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸で宗光の次男が古川財閥の養子になったとき古川家の所有となる、日本庭園の作庭者は京都の庭師・植治こと小川治兵衛と書いてありました。 |
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旧古川庭園・洋風庭園 2005.3 北区 武蔵野台地の斜面と低地を活かし北側の小高い丘に洋館を建て、斜面に洋風庭園、そして低地に日本庭園を配したのが特徴、この土地はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸で宗光の次男が古川財閥の養子になったとき古川家の所有となる、洋館と洋風庭園の設計者は明治から大正にかけて鹿鳴館・ニコライ堂・旧岩崎邸庭園洋館などを手がけた英国人建築家のジョサイア・コンドルと書いてありました。 |
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旧岩崎邸庭園 2005.3 台東区 三菱財閥の旧岩崎邸 江戸期に越後高田藩・榊原氏、明治初期に旧舞鶴藩・牧野氏などの屋敷であった岩崎邸の庭は大名庭園の形式を一部踏襲と書いてありました。 |
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清澄庭園 2005.3 江東区 紀伊国屋文左衛門の屋敷跡!? 享保年間(1716〜1736年)に下総国・関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られたと書いてありました。 |
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江戸城ニの丸庭園 2004.9 千代田区 江戸城は、とっても広大な御城でした。 江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃してしまいました。現在の回遊式庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当たり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたもの。 |
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